解剖学はご検体で成り立ってるって話 No.1401

解剖学って僕の仕事柄、基本中の基本なんですけど、いまだに学ぶことがたくさんあります。

というかまだまだ知識が中途半端なのでちゃんと学びたいんだけど、なかなかヘビーな内容なのでちょっとずつになっちゃうんですよね。

医療系の国家資格とかを持っている人は集中的に学ぶので、一気に知識を得ていると思いますが、僕はなだらかな学びです。

 

そして今年もまたその辺の知識レベルを一つアップさせようかなって思い、

分厚い専門書も一応読みながら、ライトな一般書にも手を出しています。

 

最近読んでいた非常にライトな本があるんですが、そこにはちょっと予備情報というか、解剖の手順とかも書いてました。

いつもは骨がどこにあるとか、どことどこが繋がってるのかとか、そんなことを中心に学んでいるので、そういえば知らないな〜ってなりましたね。

 

ホルマリンでの処理、どこの部位から行うのか、どんな器具を使うのか、苦手な人は苦手な内容かもしれませんね。

 

で、そんな予備情報の中に「ご検体のおかげで医療は発達した」っていうところがありました。

解剖によって日々色んな発見がされていて、治療法や薬の開発にも役立ってるのはわかりますが、そういえばそのご遺体は本人の意思で使われるんですよね。

 

事件が絡んでくる解剖はまた別ですが、大学で行われる正常解剖は亡くなる前に「解剖に使っても大丈夫」という許可をしてくれたご検体を使うようです。

自分の体が解剖されるって、死んだ後でもなんか怖いし、家族の遺体を解剖されるのもちょっと躊躇いがあります。

多くの人がそう思うんじゃないかな〜って思っちゃいますが、医療の発展のために捧げてくれる人もいるわけですよね。

そのおかげでいろんなことがわかって、未来に役立てることができるってすごい。

 

解剖学を学ぶってことはそういう経緯も知っておいた方がいいですね。

 

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