【ヨガ哲学】みんな役割があるよねって話 No.1431

前回ヨガ哲学の話ってことで欠点について少し話しました。

今日はそれに関連して、自分の役割について。

 

ちょっと怪しげな話になってしまいますが、「人にはそれぞれ生まれ持った役割があって、それをしていないと不具合が生じるから色々うまくいかなくなる」ということがヨガでは言われたりします。

みんなやっちゃいけないこと(生き物を殺したり嘘をついたり)もあるし、みんなやった方がいいこと(清潔にしたり勉強したり)も示されいますが、人それぞれにもあるんですね。

それは言い方によっては神様みたいなのが決めてるとか、前世から繋がってるものだとか、ちょっとスピリチュアルな言われ方をします。

 

一般的にもあまりに強力な才能を目にした時にはそう言うことを言ったりしますよね。

サッカーのメッシさんを見たら神に選ばれた人だって思うかもしれないし、水泳の北島康介さんは前世が魚なのかなって思うかもしれない。

そういう感覚で自分にも何かの才能というか役割があって、突き詰めていくと上手くいきやすいものがあるかも。

 

ここまでで納得できる場合はそれでOKなんですが、僕はヨガをやってるくせに神様とか前世とか信じてないので、あんまりしっくりこないんですよねw

でも人それぞれ特徴が違って役割のようなものがあるというのも感覚的にはわかる。

 

そこでちょっと考えてみたんですが、人間って群れで生きていた動物で、狩猟時代からたくさんの集団が存在したんですよね。

たくさんの集団があってたくさんの集団が滅びたはず。

食糧不足、疫病、他部族から殺される、動物に殺される、内部崩壊、天災など、とにかく色んなパターンの脅威にさらされるので全てに対応できないと生き残れません。

 

そんな中ずっと生き残り続けた集団がいくつかあったから今に繋がってるんだと思いますが、それはつまり全てのパターンの脅威を免れたんですよね。

食べ物を見つけるスキルにも色々あるし、色んなタイプの武力がある人、集団内をいい関係に保つ能力も様々、元々色んな役割が必要だったはず。

そう考えれば得意なものがバラバラになるように進化していた方が自然で、みんなそれぞれ違った役割が発生するのも頷けます。

 

元々は生き残るために必要だった特徴の個人差が時代に合わせて発揮する場が変わる。

当然狩猟時代に野球の才能は役に立たなそうですもんね。

 

集団の中で必要とされることは生存において非常に重要だった事を考えれば、自分が得意なことで周りに貢献するっていうのが人間が生きていくために当たり前にしていたことなのかも。

だから自分に合ったことで、他人に認められるっていうことができていないと本能的に命の危険を感じて不調になるってことがあるんじゃないかな〜って思いました。(完全に勝手な想像ねw)

 

間違いなく個人差というか特徴はあって、それを役割と認識するかは自由ですが、神様の指名でも前世からの使命でも、受け継がれた生存本能でも、自分を活かすってことは大事とされていますよね。

 

 

 

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