出るのは仕方ない、流そう。

ここ最近、JPOPを聴いています。

というのも、幼稚園児のレッスンが月に何度があって、「この曲が好き」とか色々言ってくれるんですけど、最近の情報に疎くて全然知らないんですよねw

それで教えてもらった曲を聞いて覚えているという状況w

 

思えば家にテレビがないって状況がもう10年くらい続いていて、テレビからの情報が入ってこないのと、最近はネットニュースも芸能情報とかはほぼ見なくなってしまっていて、人から聞いた情報で生きてますw

 

ニュースって、曲の情報とか、エンタメの情報自体は知れるといいんですが、ニュースを全部見てたら、誰かの不祥事とか炎上とかの情報があまりに多くて疲れちゃいますよね。

そういったゴシップ記事って、今も昔も人気なわけですが、成功している有名な人が何か失敗をしたというニュースは、人間の構造上人気になるものなんですよね。

 

最近読んでる「休み方マネジメント」の本にも、「ネットやテレビのニュースを見過ぎていると疲れてしまう」と書かれていましたが、「それでもつい見てしまう仕組みがある」とも書かれていました。

 

【妬みは痛み】

人は妬みという感情を持っていると思いますが、これを感じている脳の領域は、体の痛みを感じるところと近いらしく、妬みの感情は痛みに近い反応をしているらしいです。

妬ましいな〜と思うとき、人は痛がってるんですね。

 

【他人の不幸は痛みからの解放】

そんな痛みを発生させる相手が、何か失敗したり不幸な目にあったとき、「ザマァ」って感情が浮かんでくる場合もあると思いますが、これは妬みで感じていた痛みから解放されて、心地よい状態になると考えられます。

芸能人が捕まったりしたら、人によっては解放感を感じているわけですね。

 

【多分、命の危険から来ている感情】

妬みも嫌だし、他人の不幸を喜ぶのも嫌ですが、なんでこんな仕組みになってるんでしょうね。

正確な理由はわからないんですが、きっと進化の過程で身につけたシステムなので、昔の生活に関係するのかと思います。

原始時代の集団生活では、ある程度役割分担があったという話も聞きますが、その役割が近い人同士は妬みが発生したかもしれません。

 

もし自分が木の実拾ってくる係だった場合、他の木の実係Aさんが超優秀だったら、集団としては超優秀なAさんを大事にしますよね。

獣に襲われたとき、自分とAさんどちらかしか助けられないなら、仲間たちはAさんを助けて自分を見捨てるかもしれません。

木の実拾いのスキルが命に関わるかもしれない。

 

そうなれば、自分と近い役割で超優秀なAさんは、自分の命を脅かす存在ですので、存在自体が恐怖です。

そしてAさんが事故で怪我をしたり、病気になったらその恐怖から解放される。

他人を妬むシステムと、妬ましい相手の不幸を喜ぶのはこんなルーツなんじゃないかな〜(想像だけどねw)

 

【今の時代は命の危険が少ない】

もしこういうルーツがあるのであれば、人間の機能に標準装備なので、妬みが発生するのも不幸を喜ぶ感情が出るのも仕方ないことです。

カッコ悪いとかは思うけど、生理現象として受け入れた方がいいかもしれませんね。

もはやトイレに行きたくなるのと同じだと。

 

でも今の時代はもし優秀な誰かや成功している誰かがいたとしても、それが原因で自分の命が脅かされることは少ないと思います。

だから妬ましく思っても「すごいね」って讃えればいいし、不幸が嬉しくても「大丈夫?」って手を差し伸べればいいですよね。

トイレに行きたくなるのは仕方ないけど、今の時代はちゃんとトイレに行くし、流しますもんね。

 

出るのは仕方ない、でも流そう。

ってことですね。

 

No.1053

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